誰ひとり取り残さない災害支援② =在宅被災者との出会い=

☆「助けてください。食べるものに困っています。」☆

 発災から1か月が過ぎたころ、任意のボランティア団体“チーム王冠”として、伊藤さんたちは、山元町から名取市までの避難所へ支援を続けていました。この頃になると、全国から支援物資が届いており、避難所では2週間おにぎりとみそ汁のみの食事だったことが、幻だったかのように改善されていました。そのような中、伊藤さんのところへ今でも忘れない連絡が届きます。

 「仙南(宮城の南の地域を表す呼び方)で活動している、チーム王冠さんにお願いするのは筋違いだと思うのですが、石巻の行政、また支援団体はたくさんいるけれども、誰に話してもわかってもらえない。話を聞いてくれない。なので連絡しています。食べるものに困っています。助けてください。」

 4月14日。石巻市渡波地区にいる方からの連絡でした。連絡主によると同じような境遇の人が100人はいると言います。この時伊藤さんは、ボランティア団体の倉庫では、食料が滞留気味になってきている現状をよく知っていただけに、そのようなことが現実に起きているのかを疑う気持ちもあったそうです。

・・・本当に困っている人がいるなら、その人が話す通りに困っているはずだ。

   この話がもしも嘘だったとしても、俺たちがバカを見るだけだし、

   それはそれで笑い話にもなるだろう。・・・

 そう決めて、通常でも有料自動車専用道路を使って車で2時間かかる、石巻市へ、100人分の食料を持ち支援に入ったのが、2011年4月15日のことでした。この日の出会いが、チーム王冠伊藤さんが『在宅被災者』の存在を初めて認識した日となります。

 

☆発災2週間後に聞いた人たちのことだ☆

 渡波地区にある万石橋付近の家で、100人分の物資を無事届けることができました。同時に、この地域には家がなんとか残っているため、在宅で避難生活を送っている人々が多数いると聞かされました。伊藤さんは、とにかく現状を知れば、自分たちのように話を聞いてくれる支援団体がいるだろうと考え、地区ごとに世帯構成と困っていることを簡単に名簿にまとめてもらうことを住民に伝えてみました。これは、ボランティア団体に集まる支援物資を少しでも有意義に使いたいという、善意が込められている物資に対するボランティア団体としての思いからの提案でもあったそうです。その日の内に12グループ分の名簿が完成しました。町内会のような行政区に縛られない体制で地域の方々が自ら動いている状況で、情報の重なりや抜け漏れを防ぐことができ、これ以降支援の中で重要なツールとなっていきました。

 その日の帰り道、伊藤さんは“あっ”と気が付きます。

 

・・・ああ、あの百姓一揆の人たちだ!・・・※1

 

 それは発災から2週間が経過したころ、状況が良くつかめないながらも沿岸の避難所へ2回目のカレーを届けたときのことでした。配膳係の女性が突然泣き出したのです。2週間ぶりに、温かい食事ができたことへの安堵の涙。涙の理由はそれ以上にぞっとするものでした。彼女の話は、食料をめぐり避難所にいる人とその周りに住む人との間に挟まれたという、恐ろしくとてもつらいものでした。これは、避難所には毎日自衛隊から食料が届いている中、その周りに住む人々へは何の支援物資も届かないまま、2週間も放置されていたことから起きた悲劇でした。山元町も亘理町も、食料が購入できる状況にはなかったことを考えれば、避難所の周りに住む方々の困っている状況は容易に想像がつきます。この時は、伊藤さんでさえも昔の百姓一揆のようなものなのかという想像が頭に浮かんだのみで、在宅被災者という存在について、そこまで重要なことだという認識にはいたらなかったのでした。そしてこの時の話が、この日伊藤さんの中で繋がったのです。自分はもっと前から在宅被災者の存在を知っていたし、この人達はおそらく至る所にいるだろうということが思い起こされました。

 

☆この人達はこのまま捨てられるかもしれない☆

2022年8月豪雨の被災地へも、水を提供してくださった伊藤さん

 石巻の渡波地区から再び支援要請が来ました。それは、「水道局の工事は終了したが、敷地内への引き込み管までは復旧工事はされないため、蛇口からは色の付いた水が出ている。飲み水が無くて困っている。」というものでした。現地で何が起きているのか確認するためにも、2回目となる支援物資を石巻に届けに行きました。在宅被災者の方々の話を聞き、行政に確認したところ、水道局の管轄が私有地の前の道路までの水道管となるため、敷地内から室内の蛇口までの配管については被災者自らが対応することとなる実態がわかりました。すぐにできる対応として、水道局から蛇口から色のついた水が出ることがあるので、飲まないように注意喚起をすることとなりますが、この注意喚起が翌年までこの地域の方々がお水を飲めない状況を作ってしまいます。(このお話は次回に続きが登場します。)

この時に、伊藤さんが名簿のリーダーに伝えられたことは、自宅避難している在宅被災者が、おそらくこの地域に3,000人はいるだろうというものでした。食べるものが無い、飲み水が無いということは、直接命にかかわることに他なりません。前回伝えておいた名簿を地域の方々が作成していたので、リーダーはその大切な名簿をもって行政や他の支援団体へ話をしましたが、助けてくれそうなところが見つからない、それがこの時リーダーから伝えられた状況であり、現状でした。

 

・・・どうしたらこの人達が助けられるのだろう・・・

 

伊藤さんは、避難所への支援がもう少し落ち着いた状況になり、ボランティアや支援団体の活動の全体が把握できて来たら、在宅被災の方々へも助けが来るだろうと考え、それまでこの渡波地域の支援に入ることを決めました。その後、支援を続ける中で、災害救助法の判断が各地域の行政に任されている事など、災害支援に関わる被災者の方を取り巻く食見が解ってくることが多くなればなるほど、理解が深まることは、

 

 ・・・在宅被災者の人たちのところへは、いつまでたっても助けが来ない。この人達はこのまま捨てられるのだ。・・・

 

ということだったと、伊藤さんは話してくれました。

在宅被災者の方々へ助けが来るような未来が思い描けない、このままでは、自分たちが支援を止めたら、この人達はどうなるのだろう。伊藤さんにはここで止めるという選択肢は、無かったのでしょう。当時の話をする伊藤さんは、それは人としてごく自然なことだとでもいうような、とてもやさしい佇まいのまま、にっと笑ってくれたのでした。

 

※このエピソードについて詳細は、一般社団法人チーム王冠のホームページ

動画として公開されております。こちらからページに移動できます。

【 話:一般社団法人チーム王冠 代表 伊藤 / 記事:吉田 】

※1・・・『百姓』を農業に従事する人という限定された意味とは別に、町で必要とされている仕事を数々こなしていた大勢の人々としての意味として使用しております。

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