東日本大震災から、そして「今」Part-1

3月11日が近づくと嫌でも頭を過ることが多くなる東日本大震災のこと。あれから8年が経つ、幸いにしてわたしはこの8年をなんとか生きてきた。
当時は本震と度重なる大きい余震に慄き、生活が一変した様に悪夢を見ているのではないかと思った。
時間の経過とともに友人が亡くなったとか誰かの家が流出したなど不幸な話ばかり伝わってきたが、心はなにひとつ動かず悲しい感情が湧かない・・・身体も同様で家の中の瓦礫を片づけようと動いても集中できず、すぐにヘタレてしまう。後はただ、生活音が消えてしまった春先の冷たい東風に吹かれながら瓦礫の原に立ち尽くすだけだった。

[foogallery id=”2101″]

 

呆然自失の日々の中で全国から集まったボランティアが復旧のために動いている様子を見ながら、これではいけないと自分を奮い立たせボランティア、支援団体に所属、少しでも復興の役に立つならと一般企業にも就職したが、どれもしっくりいかず・・・そして出会ったのが共生地域創造財団だった。
いざ活動を始めてみたものの「伴走型支援」等の耳慣れない用語、小難しい理念(笑)相談者への所作・・・戸惑うことばかり。現場での活動や内外の研修、理事長の講話の機会に触れる毎に「伴走型支援」を学び乍らあれから数年経った今、なんとか共生地域創造財団で頑張っていられる。
それでも対人支援は悩むことも考え込むことも、時に疲弊することもある。有難いのは「悩んだり辛い時は先ず吐き出せ」と内部伴走して貰える先輩スタッフの存在だ。

大船渡市はこの3月で仮設住宅の全戸撤去をする。仮設住宅が撤去されても問題がすべて解決することはなく、フェーズの変化と共にわたし達の役割も変化する。支援を受けた人が次は何処かで支援を必要としている人へ支援する存在になる。誰かと誰かが手を取り合いながら暮らしがある地域。そんな地域創造の為に活動することがわたし達の役目だと思っている。
挫けず、あきらめず、どんな小さな可能性も糧にして明日を創っていこう。どんど晴れ!と言える日を夢見てヽ(´ー`)ノ

【佐々木 敦子】

更新情報を受ける

Pocket