能登半島沖地震への活動②
能登半島地震の被害に会われた方々に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。被害に会われた方々と災害支援に対応されている方々が、1日でも早く日々の暮らしに戻れることを願っています。 |
≪ “あったかfe”の誕生 ≫
現在、支援活動の一環として“あったかfe”という取り組みをしています。
ここでは、なぜその活動が始まったのかを記録したいと思います。
あるボランティアさんの記録 〇+2月+〇
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ある青年に出会った。「自宅の倒壊は免れたが、朝市にある友人の家は全焼で一緒に逃げた。地獄のような光景だった」と語られた彼の表情が彼の言う「地獄」を物語っていた。ここに集まって協力されている方々は、それぞれそんな背景を抱えながらパツンパツンの気持ちでとにかく「生きる」ことに必死で何かできる事をみんなでしているように感じた。
「炊き出し」はどこで、誰と、どのように・・・のイメージが難しいと感じた。輪島へはアクセスの難しさもあり、まだ支援が届いていない部分も多いとの事。「ラトリエの炊き出し」で働き詰めの方々にほんの少しでもホッとした時間が流れたらいいのではと「カフェ」の提案。出会った青年とも相談し、あう、会う、合う、遭う、逢う、遇う・・・いろんな“あう”と“暖かい・温かい”をかけて「あったかfe」と名付けた。
翌日「あったかfe」をスタートしました。
ラトリエの方や、炊き出しを食べに来てくれた方にコーヒーを飲んでもらっていると、少しずつ笑顔がみられて、「コーヒー美味しいわ。ありがとう。」と言ってもらえたことがとても嬉しかったのを覚えています。
子どももきて一緒に炊き出しのお店番をしたり、あったかfeの看板の裏にお絵かきしたり、自分の膝の上に乗って一緒にLEGOの動画をみたり。
自分がやれることなんて極微力なのだと思って少し切なく感じつづけていましたが、カフェをやったことでありがとうと言ってもらえたことがなんだか勝手に自分が救ってもらってしまったような柔らかい時間になりました。
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現在は、輪島市にある重蔵神社と能登町の岩井戸地区の2カ所で「あったかfe」の活動は続いています。
地震から半年たち、仮設住宅ができたり、道路が通れるようになったり、徐々にではありますが、現場の状況は変化しています。その中でも、自分も相手もホッとできる場所で変わらずにありつづけられたらと思います。
【 記事:抱樸からのボランティア O 】