誰ひとり取り残さない災害支援① =災害ケースマネジメントの現在地=

不確実性の高い「日本」

自然災害のリスクが増大しています。2022年は3月に福島県沖地震、8月豪雨災害、台風14号被害、台風15号被害と様々な自然災害が起きています。

地震、津波(世界に通用する単語です)、台風、火山噴火などの自然災害の多い日本は、地球上で最も不確実性の高い国のひとつです。このような環境に適応しようと、わたしたちはどんな不確実な状況にも備えることを学んできました。例えば「こんな時はどうするの?」あいさつや敬語の使い方、訪問や冠婚葬祭の作法など、知っておけば役立つマナーブックなどにある通りに行うことで安心感や安全を得ることが出来ます。

東日本大震災の様子

各地の災害への対応

 そこで実際に災害発生時に全国の自治体はどのように対応したかを調べてみました。

3月福島県沖地震
相馬郡新地町や南相馬市は地域にある民間団体が共同し行動しました。一方新地町と南相馬市の中間に位置する相馬市は民間団体の受け入れはありませんでした。このように市町村によっては支援の形態がそれぞれだったことが分かりました。
8月豪雨災害
山形県飯田町の社会福祉協議会(以下、社協と表記。)はすぐに県内の防災アドバイザーと一緒にボランティアセンターを立ち上げ、被災者1軒1軒に訪問し困りごとの把握を実施していました。

福井県南越前町では町役場と地域の社会福祉協議会だけで災害対応を担っています。1カ月が経過しボランティアセンターは縮小。行政では、2階での生活を続けている世帯があることは把握していても、みなし仮設として市営住宅の案内は実施するものの、民間賃貸の借上げ等はありません。

9月台風14号・15号被害
鹿児島県は台風14号接近に伴い災害救助法を適応。被害が出る前の適用は稀なケースで、被災者への対応が早くできる準備がなされました。

被災した地域が広範囲に点在した宮崎県は、県外からの災害支援団体受け入れに対応していないため、断水した山間部への支援に遅れがみられていました。

静岡市では長年防災訓練等で災害への備えがされていたこともあり、行政と社協、NPO法人が連携し山間部への支援も各戸を一軒一軒訪問型で届けることができていました。

災害支援で基準となるもの

 1961年に施行された災害対策基本法を軸に、災害救助法、被災者生活再建支援法、災害弔慰金法、特定非常災害特別措置法、自然災害義援金差押禁止法、激甚災害法、自然災害債務整理ガイドライン、政府の事務連絡や通知等の適応が災害時に規定されました。被災地の行政は、これら規定に対する対応が終了した時点で災害対策は終了となる傾向にあります。ハード面の復旧を災害支援と考える傾向がまだ強いようです。現行の支援制度は家が残った場合は生活再建は自助努力、被災者ひとりひとりが抱える個別の事情に対しての考慮の足りなさがうかがえます。

被災者ひとりひとりが救われて、暮らしが取り戻せる構造に変えていくために期待されているのが、『災害ケースマネジメント』です。災害直後から生活再建の達成に至るまでを、始めから終わりまでひとりひとりの被災者が生活を取り戻すことを軸とした、一貫性のある視点で考える災害支援『災害ケースマネジメント』を支援の基準に組み込み、すべての被災者に必要な支援が届き、人が人として大切に扱われることがこの支援の目的です。この支援は出向いて行き、出会うことから始まります。

在宅で被災された1軒1軒を訪ねる様子(大船渡)

被災者ひとり一人の生活再建を取り扱う

 2011年の東日本大震災から民間ボランティアの役割が法令で言及され始めました。同時期に多くの災害支援に特化した民間団体が立ち上がり、被災者の要望等を拾いながら被災地域と共に復旧への取り組みが増加しました。民間団体の活動は被災者個々のニーズを拾いニーズに即した支援を行うことで一日でも早い通常の暮らしを取り戻す可能性が高まります。
ひとり一人の被災状況を聴き取りながら、同時に地域にある資源を最大に活用し生活再建を進めることは誰ひとり取り残されることのない災害支援といえるでしょう。

 次回から『災害ケースマネジメント』について、東日本大震災から被災地で実践された団体からのお話や事例とともに、より深く紐解いていきます。

【 記事:吉田 】

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