東日本大震災から、そして「今」Part-4

東日本大震災から8年が経過します。今年の冬は雪がまったくと言っていいほど降らず、年が明けてからあっという間に3月を迎えた気がします。

東北の被災地は復興事業が最終局面を迎えた今、人口減少に対抗し交流人口を呼び込むための各地のまちづくりが話題となっています。真新しい商店と新築住宅が立ち並ぶ中で、周囲に馴染んでしまっていた応急仮設住宅が取り壊されると、一見して震災前の日常が取り戻されたかのようです。

共生地域創造財団は被災地で多くの課題を目の当たりにし、自分たちに何ができるかを考えながら進んできました。支援が行き届かない在宅被災者、就労に困難を抱える若者、それぞれ事情を抱え応急仮設住宅から転居できない被災者。未だ解決に至らない課題はたくさんありますが、地元東北のスタッフを中心に支援の最前線に立って被災者に寄り添い伴走型の支援を行っています。

2011年の東日本大震災の直後、私は岩手県大船渡市でボランティアをしていました。避難所となっていた中学校体育館に住み込みで掃除・炊事・洗濯を手伝っていました。あの時を思い返すと、避難所で暮らしていたAさんのことを思い出します。避難所で支援物資が配られると、Aさんは3人分の物資をもらっていました。ある時周囲から「なぜ2人世帯のAさんは3人分の物資を持っていくのか」と不満の声があがりました。
私は迷いながらAさんに周囲の声を伝えました。するとAさんは言いにくそうに「物資を自宅に運んでいる」と答えました。Aさんのご自宅は津波で被害を受けて解体が決まっていましたが、2階はかろうじて無事でした。しかし、残された自宅には津波被害で何も残っていなかった。それを目の当たりにした時の寂しさをAさんは埋めるべく、せめてもと支援物資を自宅に運んで失われたものを取り返そうとしていました。
私はこの時に初めて、復興には各々それぞれの支援が必要なことに気付かされました。ルールからは少し外れてしまったとしても、目の前の方が望んでいることは何かを一緒に考えることは大切なことだと知りました。それは8年経ったいまでも変わりありません。

復興事業は震災から10年で終了します。10年目を前にして、私たちの活動も大きな転換期を迎えています。いままでの災害支援活動をこれからどのような形で継続していくか、私たちに何ができて何を望まれているのか。まだまだ目の前の壁は厚いですが、すべての答えは個別の支援にあると信じています。

今年の3月11日の石巻は雨です。8年間を思い起こしながら今日を過ごしたいと思います。

【多々良 言水】

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