能登半島地震の被害に会われた方々に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。被害に会われた方々と災害支援に対応されている方々が、1日でも早く日々の暮らしに戻れることを願っています。 |
☆能登半島沖地震における災害ケースマネジメント☆
2024年1月1日16時10分頃に石川県能登地方で発生した地震(M7.6、最大震度7)に伴う地殻変動が観測されました。地震による津波も発生しました。発災から2か月が経過した3月1日時点でも、7町村約18,380戸が断水したままです。1次避難所への避難者数は断水の解消と共に減少傾向にありますが、約5,452人の方が住む場所がないまま避難生活を続けています。
能登半島の被災地で、被災者の早期の生活再建を目的としたアウトリーチによる調査が必要だと、1月の時点で強く感じていたのは、地域で活動する民間団体だった。東日本大震災や2022年9月の台風被害の静岡県での取り組みなど、過去の大きな災害から学び、その被災地にいる方に講師やアドバイザーとして関わってもらいながら、能登らしい復興へ向かっている。
珠洲市でも、県外の防災士などの災害に詳しい専門職のボランティアを要請しながら、全戸調査が行われた様子があります。輪島市では、保健師のゼッケンをつけたボランティアが、小さな集落を回っているのを見かけています。アウトリーチによる訪問の必要性が浸透してきていることが感じられます。
災害ケースマネジメントでは、全戸訪問をすることだけが目的ではなく、その先の被災者1人1人の生活再建へ、どのように実施した全戸訪問の内容をつなげていくのかを大切にします。そうでなければ被災者台帳にも調査内容が落とし込まれずにそこで情報が終わってしまいます。
・・・全戸訪問調査も、被災者台帳も、そこにある目的が大事・・・
津久井弁護士の言葉を借りて言うととしながらも、伊藤さんの思いには、せっかく開いた台帳が、仮設住宅からの退去と同時に閉じられてしまうことになったいくつかの過去の例を繰り返さないようにというものが込められていました。
☆被災者をグループごとに把握する☆
石川県として知事は災害ケースマネジメントを進めると公表しています。一方で、県の災害対策本部員会議で災害ケースマネジメントの言葉が頻繁に出てくることはなく経過しています。また、同会議で被災者の1人1人に合わせた、相談窓口やアウトリーチによる生活再建相談への予算がつけられたという報告もありません。
今回の能登半島の市町では、炊き出しボランティアの団体と避難所とのマッチングをすることで、避難所ごとの炊き出しの格差が出ないような仕組みを実施しています。行政が炊き出しボランティアに向けたチェックシートを案内することで、ボランティアによる避難所への負担を軽減することにつながっています。この現場で起きていることとして、避難所を利用する人数が流動的で、必要な食数の把握ができていないことがあります。これについて伊藤さんは、名簿化する必要がここで顕著に表れると話してくれました。日中は自宅に帰っているが夜は避難所を利用するような方もいます。金沢へ2次避難をしたり、能登へ戻ってきたりする方もいます。この流動的な被災者の動きを把握するためにも、被災者の方々を緩やかにグループ化して名簿にすることで次の支援につながることになります。
被災者の方々からは、名簿化することへの理解や今置かれている状況についての理解など、生活再建に向けての協力が必要です。そのため、能登の被災者へ向けた瓦版を災害ケースマネジメント構想会議のメンバーから発行しています。
☆前例にとらわれない創造的な復興を考える☆
伊藤さんはこれまで、情報が命だと考えていました。東日本大震災では情報を集めて被災者のニーズを把握し、それに対して必要な支援をすべて完ぺきとは言わないまでも届けてきました。今回の災害で報告された内容の中で気が付かされたこととして、情報を集めても、その情報の中に含まれるニーズに対応できるような資源が情報を集めた団体にないとなったときに、その情報は硬直してしまう、死んでしまうということでした。
昨年の秋田県で発生した大雨被害では、被災した多くの方々が何に困っているのかが分かったとしても、使える制度がないことが起きています。本来であれば、実態に合わせて被災者の支援をしていくのは市町村であり、県や国といった行政の役割だといえます。しかし実際に被災自治体に降りてくる内容は、実態に合わない要件が付いた制度です。顕著な制度が、応急修理制度だといえます。秋田市25%、久留米市では17%と利用率は年々右肩下がりとなっています。
・・・被災者が誰1人も取り残されないために、いい方法、いい答えをみんなで考えていきたいよね。・・・
最後に伊藤さんがはにかんだように伝えてくれました。
災害ケースマネジメントというアウトラインはでき浸透してきたものの、まだ産声を上げたばかりです。
【 話:一般社団法人チーム王冠 代表 伊藤 / 記事:吉田 】
]]>ニュースレター第22号(From-East)を発行しました。
今回のニュースレターは能登半島での支援活動の特集です。
1月8日から現地の拠点を設け、現在まで支援活動が続けられております。
大きな災害の後にその地域がどのように復興していくのか、引き続き能登半島地震の被災地へ心を寄せていただければと思います。
どうぞ、ご覧ください。
※画像をクリックするとPDFで表示されます。
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能登半島地震の被害に会われた方々に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。被害に会われた方々と災害支援に対応されている方々が、1日でも早く日々の暮らしに戻れることを願っています。 |
1月8日より団体では、金沢市内のキリスト教会の協力を得て支援拠点を設置できました。また、金沢市内の北陸学院とも協力し、拠点から被災者の方々へ支援を届けています。この活動は東日本大震災の被災地、北海道から九州まで全国から得意とする分野を持ち寄り、現地で自らも被災しながらも被災者の方々のために動かれていおる人や団体とつながりながら進めています。
ここに、1月、共に支援活動を行ったボランティアの方の手記があります。
2024年1月
震災から二週間がたっており、私が入った時には、居室で入所者の皆さんは生活をしており、見慣れない訪問者に興味を持って笑顔で話しかけてくる様子でした。職員の方からじっくりと話を聞く必要のある人がいるか確認したところ、二人の入所者さんを紹介され、私は男性の入所者とお話することになりました。紹介されましたが、突然の不安と知らない人への緊張で距離を取られながらも職員の方とお話して、好きなことや今食べたいものなど話をしました。慣れてきたころに「豆乳が飲みたい!」と笑顔で提案が出てきたので、次回持ってくることを約束してきました。女性棟では、別なスタッフが話をしていると徐々に人が集まってきて、楽しく会話が弾んで楽しい時間を過ごしてきました。
その後職員の方と話す機会があり、震災直後からの話を聞くと、居室の利用がむずかしく体育館で避難生活を行っている中で、環境の変化で症状が落ち着かない入居者も出る中、泊まり込みで支援にあたっていたと話を聞きました。自身も被災する中で、数日で居室を直しみんなが笑顔で生活できる環境を作りだした、職員の皆さんの努力と行動力に驚きました。
短い時間で何が自分にできるのか、とても考える機会になっています。自分にできることを被災地に貢献していけるよう、支援にあたっていきたいと思います。
(後日)
今日は、16日に訪問した施設へ物資の搬送を行いました。前回お話をした入居者の方に豆乳を届ける重要な仕事があり、豆乳を購入し現地へ向かいました。道路の状況も日に日に変わり、通れなくなっている場所や使用禁止になっている場所が使えるようになっている様子を見て復興の進みを感じます。5日間の滞在でしたが、多くの人たちが毎朝早くから、被災地に向けて渋滞を作り、短い時間で環境が整っていくのが、身に染みて実感することができました。
豆乳を持って、訪問すると顔を覚えていない様子でしたが、職員さんからお話しいただくと豆乳の話を思い出し、「持ってきてくれたの!?」と満面の笑みで近寄ってきました。手渡すとガッツポーズをしながら大喜びし、それに反応して周りの方々も集まってきてにぎやかな時間を過ごしました。笑顔や喜びが伝染して、場が暖かくなることを私たちは応援できるのだと思い、物資と一緒に楽しい場面を作る手伝いをできるようこれから応援していきたいと思いました。(手記より)
能登半島で懸命にお仕事をされているすべてのソーシャルワーカーさんへ、感謝と敬意をこめて。
【 記事:吉田 】
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葛尾村の歳時記では、毎月の葛尾村の様子をお伝えしていきます。あなたも村民になったらこんなことしているのかなという豊かな想像力と一緒にお楽しみください。 |
郷土料理の凍み餅ができあがり、餅配りをしている季節。
凍み餅は-10℃にもなる葛尾村の寒さで作られると聞いていたので、
村内は雪景色かと思いましたが、雪はありませんでした。
この日の日中の気温は3℃です。
雪がないので移動がしやすいということで、お馬さんの様子を見に行きました。
天気が良いので、お馬さんたちは外でのんびり過ごしているようです。
今回も近寄ると"だれ?だれ?”って感じで寄ってきてくれました。
そして、村の文化遺産磯崎神社へ。
大きな2本の杉の木が出迎えてくれる神社です。
杉の門を過ぎると、本宮に到着です。
近づくと、来年の干支の龍が居ました。
葛尾村の今までの出来事とこれからをずっと見守っている神社です。
さて、本当は雪景色の高瀬川が見れるかなと思っていたのですが、
※雪景色の様子はこちらで紹介されています。
雪がないのでちょっと渓谷の奥にある行司ケ滝に行ってみようと思います。
ここから歩いて川に降りていきます。
すぐに川に出て行き止まりになってしまいました。
見渡すと対岸に滝のような流れがありました。
水の音だけが聞こえる、静かな空間がそこには広がっていて、
その一部に自分の溶けていきそうになります。
【 記事:吉田 】
※帰りに行司ケ滝をよく調べてみると、田村市側から行くようです。
]]>☆災害支援のおわりの後にあるものは☆
災害支援にかかわる制度には、ほとんどのものに期限が設けられています。その期限が過ぎた時に、まだ日々の暮らしに戻れていない被災者の方々を助けられるのが地域福祉の制度なのではないかと考えます。
(一社)チーム王冠の伊藤さんが、目の前の被災者への支援を日々続けていく中で出会ったのは、本来、福祉の制度につながっていてもおかしくないはずなのにつながっておらず、家族や親類などの共助で何とか日常を過ごしていた方々でした。災害によって、共助ができていた家族や親類も、自分自身のことで精いっぱいとなり、共助だけで成り立っていた生活が成り立たずに、災害からどうやって生活再建をしたらよいのかわからず困っている人が一気に溢れ出しました。「これが、誰かが言っていた災害は社会課題を浮き彫りにするということなのだと思う。」と伊藤さんは話します。
伊藤さんが、災害ケースマネジメントの枠組みの一部を、福祉が担う必要があると考えているのはこの現実を知っているからに他なりません。
☆災害支援に詳しい人と福祉制度に詳しい人☆
被災者の生活再建を目的とした災害ケースマネジメントを進める形として、現在、被災者生活再建支援法が適用された被災地で立ち上がるのが「地域支え合いセンター」です。今年の7月の大雨被害が出た秋田市においても、秋田市から秋田市社会福祉協議会が委託を受け、生活相談支援員を新規に募集して立ち上げられています。
被災者の生活再建において、早期に1件1件についてのケース会議を開始し、見通しを支援者の間で支援計画として共有しておくことが必要になります。そして、支援計画を実行していく中において、スペシャリストとジェネラリストの両輪がどうしても必要だと考えます。このジェネラリストは、時には被災者のアドボカシー(代弁者)として、被災者と専門家との間の橋渡し役として、被災者の通訳として、そして、時には被災者と一緒に悩んだり喜んだりする共感者として活躍します。ジェネラリストが被災者に伴走し、生活再建に必要な制度や専門家へ繋ぎ戻しをしながら、一人一人のケースマネジメントを担います。
これまで、生活再建におけるケースマネジメントを誰が担っていたのかを考えてみました。災害支援団体がかかわっている場合、被災者へ届けられるのは物資支援や初動の家屋保全が主な内容となり、専門的な事柄については良くて専門家を紹介する程度にとどまってしまいます。平時の福祉の専門職がかかわっていた場合、一時的な避難といった側面で受け入れることができるといった点では被災者の安全が確保され有益ですが、災害の制度については詳しくないため、本人が使える災害支援制度を使いながら生活再建するような支援計画には至らないことが多いです。これが、災害支援についても福祉についても詳しくない、地域の方がかかわっていた場合であれば、安否確認に留まってしまうのはとても自然な流れでしょう。
東日本大震災では、雇用創出支援という意味合いから、対人支援をこれまで行ったことのない地域の方が、生活相談員となり仮設住宅へ見守り訪問を行いました。採用時に研修を受けているとはいうものの、対人支援が専門職となっているのは、誰もがすぐにできることではないからに他ならず、被災者の困りごとを整理して、被災者の日々の暮らしを立て直す(避難所や仮設住宅からの転居という狭義の意味ではない)計画を共に進める伴走支援者として、ケースマネジメントまでを担った生活相談員は、個人の熱意や所属団体の考え方などにより差がありました。また、災害支援団体の中からも、チーム王冠のように、生活再建のケースマネジメントまで担う団体が育つこともありました。この点において、地域福祉の中に新しい資源が生まれていくことにつながっているといえます。それでもなお、10年以上が経過した今でも被災した家屋の修繕が完了できずにその家屋で生活を続けている方がおります。
災害ケースマネジメントは、ただの制度ではないということ。これまでの災害支援の中かからの反省と学びが盛り込まれた、被災地からの魂ともいえる熱い思いがそこには積み上げられています。
☆被災者本人がハンドルを握っている☆
伊藤さんが最近、災害規模の大小にかかわらず被災者ほぼ全てに当てはまると考えていることがあります。それは自己防衛の反応からくるものだと考えられる、正常性バイアスの影響下に置かれているということです。伊藤さんが、この人被災者だと思い「大丈夫ですか」と声をかけると、「大丈夫です。」と返事が返ってくることが本当に多いと話してくれました。
災害ケースマネジメントでは、このような状態にある被災者の方々のところへ出向いていき、第三者として関わり、被災者一人一人がそれぞれに必要なサポートを受けられるよう、公平性が生まれる状態を作ります。この時、被災者と伴走者と専門家は、チームとして生活再建を進めていくことになります。チームを作るうえで、伊藤さんは被災者へ「あなたにしかできないことがあります。」と伝えるそうです。
・・・無理のない範囲ですが、これをやるのはあなたです。私たちは応援しますから、強い意志を持って進めていきましょうね。・・・
日々の暮らしを立て直す道を走るハンドルを握っているのは、あくまでも被災者本人だということを大切にしているのも、災害ケースマネジメントなのです。
【 話:一般社団法人チーム王冠 代表 伊藤 / 記事:吉田 】
]]>2022年8月大雨による被害を受けた南越前町。
現地団体として、今でも支援活動を続けている、
NPO法人災害共生支援機構from代表理事の須磨さんの活動をお手伝いしにお伺いしました。
※前回訪問した際のブログはこちらからご覧ください。
22日から日本海側には大雪警報が出ていました。
そんな中、23日に南越前町今庄地区にある『昭和會館(今庄公民館)』で、
子どもたちのプレーパークが開催されました。
大雪の中子どもたちが来てくれるか心配でしたが、
総勢17名の子どもたちとその親御さんが来てくれました。
次の日はクリスマスイブということもあり、
グリーンコープ様から届いた支援物資のケーキをみんなで食べます。
当日は、神戸の被災支援ボランティア団体お互い様プロジェクト
さんからも2名プレーパークの応援に参加していました。
これからも、子育て世代の親御さんや子供たちの交流の場所が継続されるといいなと思います。
24日は、前日までの天気から一転、青空の広がる暖かい日となりました。
今日はサロンが開かれる予定でしたが、道路状況が心配されたためサロンは延期となりました。
そのため、個別訪問を実施しました。
神戸からのボランティアさんも2名増えての活動になります。
延期されたサロンを取りまとめている方へも訪問し、
次回のサロンに使ってもらおうと、グリーンコープ様からのお菓子をお渡ししました。
雪のあまり降らない神戸からのボランティアさんは、
雪の上を歩くのがドキドキだったそうです。
10軒ほどの集落では、来年の4月からサロンのまとめ役さんが世代交代するそうです。
須磨さんは早速「サロンのお手伝いお願いします。」と住民さんにお願いされていました。
災害前はとても静かな地域でしたが、
現在は川の護岸工事で重機の音がして過ごしにくい日々が続いているそうです。
1日でも早く、穏やかな日常の暮らしが戻ることを祈ります。
【 記事:吉田 】
]]>7月の大雨の被害に会われた方々に心よりお見舞い申し上げます。9月にもまた新たな地域に大雨による被害が出ております。被害に会われた方々と災害支援に対応されている方々が、1日でも早く日々の暮らしに戻れることを願っています。 |
12月第2週の土曜日。
NPO法人あきた結いネットさんで継続して行われている、被災者支援のお手伝いに行ってきました。
※12月22日から雪が降っている現地は今は雪景色だと思います。
今回はstorycatスタッフと災害ケースマネジャー2名で、
レシピのアイデア出しからパッキングまでを設計したそうです。
災害支援の分野でも、めきめきと力がついてきている皆さんです。
秋田では珍しい食材となるゆずが、
大量に福島から送られてきたということで、
今回のデザートは秋田といえば寒天が有名なので、『ゆず寒天』を作りました。
お昼までには75食分のお弁当が完成して、
事前に要望のあった店舗に取りに来ることを希望している方と、
配達希望の方とに分けて準備します。
お店にとりに来れない方々は、移動が難しい方々でもあるので、
お弁当の配達と一緒に支援物資もお渡しします。
事前に要望があれば合わせて布団やストーブもお届けします。
自宅が被災して、雨が降ると怖くて元の住まいに住めなくなってしまった方や、
災害がきっかけで、気分が落ち込んでしまい
買い物に外出することもままならなくなってしまったと話す高齢の方、
皆さんへお弁当をお渡ししました。
お弁当を受け取ると、堰を切ったように近況を話してくださり、
このお弁当が届くことがどんなにありがたいと思っているかを
聞かせてくださいました。
まだまだ、住まいの修繕が完了していない被災者の方々が秋田にはいらっしゃいます。
1日でも早く安心して暮らせる日が戻りますように。
【 記事:吉田 】
〇この活動は公益財団法人日本財団の助成金を利用しています。
]]>ニュースレター第21号(From-East)を発行しました。
今回のニュースレターは福島での活動と被災地を知るツアーの特集です。
二本松市の災害公営住宅に住んでいる方々との交流会の様子など、福島の今の様子をお伝えしています。
また、大きな災害の後に何が地域に生まれるのかを、東日本大震災の現地を知ることでお伝えできればいいなという思いから、現地を知るツアーを作る様子をお伝えしています。
どうぞ、ご覧ください。
※画像をクリックするとPDFで表示されます。
]]>11月24日 曇り空の隙間から青空がのぞき、わずかな日差しが冷え切った空気を少しだけ和らげてくれます。復興交流館あぜりあにて、第4回かづろうさんげ食堂が始まりました。
一人でも多くの村の方々に来て欲しいと毎回願いながら、数日前に役場、社協、企業、個人等50枚ほど配ります。さて、今日は何人が食べに来てくれるのか、期待が膨らみます。
本日のメニューは、豚汁、キノコの炊き込みご飯、白菜の浅漬け、大根の漬物、みかん。野菜とキノコで見るからに健康的な献立です。温かい食べ物は、気持ちも温めてくれるはずです。
早速、チラシを見た方が、お友達を誘って4人で来てくださいました。その後、副村長、葛尾村に来ているアーティスト、近隣で働いている方々、旅行中の方が次々と来てくださり、テーブルを囲んでおしゃべりしながら、楽しいひとときを過ごしていました。今日は、44人の方々が来てくださいました。
村の方に葛尾の冬の食べ物について聞きました。 葛尾村の冬は厳しく、農作業もできないため、昔から夏ごろから保存食を作るのが当たり前でした。例えば、ふき、きゅうり、白菜、大根は、塩で漬け込み、冬になると塩気をとり、再度漬物にしたり、ふきは佃煮として登場します。特にふきは、お葬式には欠かせない食べ物だったため、必ず家には塩漬けのふきがあったそうです。今は、季節を問わず食べたいものを購入することができるようになり、昔の習慣が薄れつつあります。特に高齢の方々から、葛尾村ならではの食文化を教えてもらうことは、とても興味深く、同時に残していかなければならないことだと思います。
寒くなっていくと、外に出る機会も減っていきます。みなさんの顔を眺めながら、12月も温かいものを一緒に食べる機会を持ちたいと思いました。さて、そんなメニューを考えようか・・・
【記事:豊田】
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葛尾村の歳時記では、毎月の葛尾村の様子をお伝えしていきます。あなたも村民になったらこんなことしているのかなという豊かな想像力と一緒にお楽しみください。 |
冬紅葉が存在感を増している、紅葉が終わりかけの葛尾村です。
今日は時折風が吹いて、紙吹雪のように舞う落ち葉がある暖かな日です。
お馬さんたちも、お外で遊んでます。
お馬ちゃんたちが近寄って、今日も挨拶してくれました!
さて、お馬ちゃんたちにあいさつした後、今日は渓谷まで行ってみます。
葛尾村を流れる、葛尾川と高瀬川まで行くと美しい景色に出会えます。
村の方に行き先を聞いた時、
「葛尾村の自然は綺麗ですよ。」
と村に対する愛情が伝わってくる暖かな微笑で教えてくれました。
写真では伝わりにくいと思いますが、とにかくお水が澄んでいて透明です。
そして、耳に入ってくるのはせせらぎの音と
風が落ち葉を鳴らす音だけです。
透明度の高いお水が集まって、縹色を作っていました。
見る角度によっても色が変わるので、
何色なのかを一言で言い表せない景色にしばし時が止まります。
この渓谷は葛尾村で活動する葛力創造舎さんのページでも、
葛尾村の秋を見つけるヒントが紹介されています。
みんなそれぞれ好きな場所があると思うので、
ぜひ現地に来て、お気に入りの場所を見つけてみたください。
【 記事:吉田 】
]]>7月の大雨の被害に会われた方々に心よりお見舞い申し上げます。9月にもまた新たな地域に大雨による被害が出ております。被害に会われた方々と災害支援に対応されている方々が、1日でも早く日々の暮らしに戻れることを願っています。 |
秋田市で活動されているNPO法人あきた結いネットさんでは、
発災直後より被災者の方々への物資支援を中心とした困りごと相談を行っております。
まだ天気予報で雪のマークが出てきておりませんが、朝晩はストーブが必要な気温となっている
秋田市です。
10月末に新聞記事にも掲載された越冬支援のため、
一般社団法人チーム王冠さんからの布団の支援物資を一緒にお届けしました。
大きな車2台分に布団セットと毛布を詰め込めるだけ詰め込み、
秋田市が用意してくださった支援物資の保管場所へ搬入しました。
秋田市の社会福祉協議会さんを通じて、現在はストーブの貸し出しが行われております。
また、遊学舎さんでも暖房器具や布団の支援を行っております。
秋田市の災害支援の中で出会った方々の生活再建の様子についても、
今どのように進んでいるのか、直接お話を聞くことができました。
大工さんが入り、床の張替えが進んでいる世帯もありました。
また、引っ越しをしている世帯もおります。
そして、家屋の修繕を諦めて解体した家屋の更地がぽっかりあるところも。
被害のあった地域のコミュニティーが変わってしまっている様子は、
とても寂しく感じているというお話がやはり、お話を聞く中で出てきます。
様々の思いの中にある被災した方々が、1日でも早く日常の暮らしに戻れるように、
本人と一緒に相談しながら生活再建を進める、災害ケースマネジメントの形が早くように。
できることから行動したいと思いました。
【 記事:吉田 】
〇この活動は公益財団法人日本財団の助成金を利用しています。
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集まりができるまで |
二本松には、震災後浪江町から避難を余儀なくされた方々が現在もなお多くの方々が住んでいます。昨年5月、財団福島事務所が二本松に開設されてほどなく、二本松市内に新町なみえというNPO法人が、浪江から避難している方々の支援をしていることを知りました。早速話を聞きに行ったものの、間もなくNPOが解散するというのです。避難者支援のための補助金が打ち切られ、活動がままならなくなったとのことでした。その後も、活動がどうなっているのか心配になり、何度か連絡を入れましたが、返事はないままでした。二本松に住む一人として、また財団の職員として、何かできることはないかと数少ない知り合いのつてを辿り、新町なみえの動向、復興公営住宅に住む方々の現状を聞いて回りましたが、情報は少なく、何も生かせるものはないままに時間だけが過ぎていきました。
しかし、今年に入り、ふくしま生活困窮者ネット会議でつながった児童養護施設の被ばくの見守りをしている団体の理事長から、二本松で障害者の通所施設を運営している浪江出身の方を紹介していただき、俄然希望が見えてきたのです。
私は、率直に復興公営住宅の方々の現状を尋ね、何か一緒にできることを考えたいと伝えました。すると、復興公営住宅では、高齢化が進み、孤立の問題が起きている現状があるとの返事をいただきました。あっという間に、障害者団体理事お一人から、長新町なみえの理事長だった方(団地の目の前で時計屋さんを営まれていました。)、石倉団地自治会長とつながり、団地の方々を中心とした居場所を作ろうという話が持ち上がったわけです。
場所は、団地の目の前にある喫茶店コーヒータイム OBRI (障害者の就労支援のための喫茶店)です。月に1回もしくは2回午後の数時間を貸し切って行うことに決定しました。チラシを作り、団地に掲示してもらうと同時に、声がけを行いました。
一人で暮らしていても、孤立せずに誰かとつながっている生活を実現したい、そしてその一人一人の人生を大切に思い、震災で断ち切られた人生を一つにつなげる作業をしたいと話し合いました。あの日を境に希望が見いだせない人がいたとしたら、そこに寄り添って、死を前にしたときに自分は幸せだったと思える人生であってほしいと切に願います。
初めてのおしゃべり会 |
おしゃべり会(仮称 これからみなさんと考えます。)は、10月20日(金)13:30から始まりました。一人でも二人でも来てくださればと思っていましたが、8人が集まりました。メンバーは、団地に住む方々や数年ぶりに団地を訪れた方です。自己紹介もそこそこに、団地での生活ぶりをそれぞれがユーモアたっぷりに話しだし、笑いの絶えない時間となりました。誰かと話すこと、笑うことが生活の中でとても大切なことだと実感した時となりました。
これから |
まずはとにかく参加してもらうこと、そしてつながりを広げ、なかなか家の外に出られない人へ声を掛けられることが第一番目の目標です。そのためには、参加してくださる方々の興味を引き出しながら、楽しむことのできるプログラムを一緒に作っていこうと考えています。
二本松市内のフードバンク、農民連のみなさんの協力も得ることができました。みなさんに助けられながら、今ここでの生活をいつくしむことができる仲間を増やしていきたいと思います。
この小さな集まりは始まったばかりです。
【記事 豊田】
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☆災害支援の根や幹にする☆
全国には災害が起きた時に駆けつけてくれる、稀有なボランティアの方々がいます。しかし大きな災害になればなるほど、民間のボランティアだけで被災者の生活再建までを支援することは難しいと、伊藤さんは考えています。また、これらのボランティアによって、限りあるリソースの取り合いも予想されるため、ボランティアを取りまとめることで、必要なところに必要な支援を届けることができると考えています。制度化することは災害支援の根や幹を作ることだと例えることができます。災害は通常時にあるものを壊してしまう(誰も取り残さない支援⑨参照)ため、何かが欠けた状況でも根や幹があればそれは枝葉を新しく伸ばしていけます。
特に期待している点は、行政がやらなければいけないこととして認識していることです。いくら民間団体が生活再建までの支援をやりましょうと言っても、行政に届くことは稀で、今回の秋田市のように国からもやりましょうと伝えられることで、大きく舵を切ることができると考えています。これは制度化を目指す流れの中で起きた、希望とも言えます。
☆制度化が必要だと考えた理由☆
伊藤さんが制度化を必要だと考えた理由の1つ目として、支援が届かない人がいる現実を何度も見てきたことがあります。その中には、被災をして困っているにもかかわらず、自分は支援をしてもらうに値しない人間ですと言って、差し出された支援を受け取ることを拒む方もいたそうです。また、東日本大震災では目の前の人を助けていくことはできたが、宮城県内の支援が限界でした(誰ひとり取り残さない災害支援②・③参照)。支援を届けても届けてもその先にも被災地が続いて、その先への支援は自分には無理だということを伊藤さんは感じていました。そんな時に、同じ基準で同じように被災者へ支援する人や団体が、岩手にも福島にもいるんだと分かれば、日本全国そうなんだと思わないと、自分は耐えられないんだと伊藤さんは話します。
制度化をする理由の2つ目として、東日本大震災時にチーム王冠が行っていた支援の仕組みが機能していたという体験があります。大震災当時、チーム王冠では全体像を把握し、必要なものを必要な人に継続して届けることを仕組化していました。定期的に支援を届けているすべての世帯にアセスメントを行い、現状の被災者のニーズに合わせ必要な支援を届け、必要のなくなった支援は終了する判断ができていました。当時は民間団体同士で調査を行っていたため、内容にばらつきができたりなど様々なことが起きました。これが災害支援の制度というレールの上を行政が走りながら、民間団体と協力することで民間の感覚が反映され、行政ではできない支援を届けることが可能となります。その先には、防災相のような災害支援の情報が蓄積されていき、新しい災害にその蓄積が活かされていく仕組みが整備されることがあって欲しいと願っています。
☆制度化することへの懸念☆
災害ケースマネジメントの制度化を考えるうえで、よく聞く懸念は「決められたこと以外やらなくなるのではないか。」というものです。
伊藤さんはこの懸念に対して、こんなことを話してくれました。この日本には残念なことに、いまだに差別が存在しています。それは災害が起きた時に共助に頼っていると、支援が届かない被災者を生むことにつながります。国によって決められた支援があれば、元の生活に戻るための支援を受けていいという根拠を持って支援を届けることができます。障がいを持っている方々や、過去に犯罪歴のある方々やその身内の方々は、地域外から来るボランティアにとっては、支援を届ける被災者の1人以外の何者でもなくなるのです。
・・・(この点においてだけでも、)支援が届く人が増えるなら、
決められたことをやるということに大きな意味があると思う。・・・
伊藤さんはこう考えます。
【 話:一般社団法人チーム王冠 代表 伊藤 / 記事:吉田 】
]]>私たちは、村の方々と出会いながら、コミュニティ作りを応援していきたいと月に一度食事会を行っています。今回は、秋の気配が感じられる10月13日に復興交流館あぜりあで行われました。
風は冷たいけれど、太陽の光がほんのり暖かい中、葛尾村人形劇グループ13名を始め、役場から副村長、職員、チラシを見た村の方々、仕事で通りかかった方、移住を考えておられるファミリーなど約50名の方々が来てくださいました。
メニューは、「さんまの昆布煮(宮城県女川にある鈴丸水産から取り寄せました。)かぼちゃ、じゃがいもの煮物、みょうがの甘酢漬け、白菜の漬物、けんちん汁」と野菜たっぷりのお弁当です。
顔見知りの方も増えました。日々の生活のこと、仕事のこと、趣味のことなど、少しずつですが、話ができるようになってきました。「おいしかった。」と笑顔で私たちに言葉をかけてくださることが、何よりの贈り物です。
村に馴染むにはまだまだ時間が必要です。継続する中で、多くの方々とつながり、食事を楽しみにしてくださる方々を増やしたいと思います。高齢化の進む葛尾村で私たちがどのようなお手伝いができるのかまだまだ模索は続きます。
【記事:豊田】
]]>10月に実施された被災地の今の様子を知る「現地交流」に協力させていただきました。
始めに東松島にある高橋徳治商店の工場見学と、
同じ敷地にある野菜加工場を見学させていただきました。
高橋徳治商店は社会から引きこもってしまった若者を対象に、
何度でもやり直せる機会をこの野菜加工場で実現されております。
大川小学校を見学した後、
石巻市の北上地区でソーシャルファームを運営している
一般社団法人イシノマキファームさんの事務所にて活動についてお話をしていただきました。
実際は試行錯誤をしながらですが、少しずつ全体の事業がまとまってきているイシノマキファームさんの活動には、多くの質問が寄せられました。
その後、十三浜の漁師さん、佐藤清吾さんにこれまでの活動の様子について、お話をしていただきました。
漁師さんの視点を中心に、地域の歴史などへ触れながらのお話は、現在の福島の原発事故や処理水を考える良い機会となりました。
明日以降は福島県での現地交流の予定です。
【 記事:吉田 】
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